バード・ボックスの評価
★★★★☆
1週間で4500万回再生され、Netflix(ネットフリックス)を代表する作品にもなりつつある映画バードボックス。テレビで予告を見た人もいると思いますが、とても興味深い作品でした。
シナリオ含めた全体の完成度で言うと★3つというところでしょうが、この映画の完成度を上げているのは何よりも俳優陣の演技、特にサンドラ・ブロックです。
目隠しをして歩き回ると言うホラーとしては恐怖度がどうなの?と思う部分も、その恐怖感を最高高めているのはサンドラ演じるマロリーのパニック度でしょう。
彼女のパニックが見ているこちらまでどんどん不安と恐怖に引き込んでいくのです。
ホラーとしては異質な恐怖体験ですので、ホラー好きにはぜひ見てほしい作品です。
バード・ボックスのあらすじ
マロリーは子供たちとともに目隠しをして危険な川をボートに乗り込みます。
数年前のある日、マロリーは姉と一緒に産婦人科に寄った帰りに突然世界が一変します。
世界中で人間が集団自殺しはじめ、街はパニック状態になります。
マロリーの姉も車に轢かれてしまい、一人でさまよう彼女は偶然街の一軒家に逃げ込みます。
そこには家主のダグラスや黒人のトムの他多くの人がいました。
外の光を見ると異常な行動をとってしまうためみんなまずは家の窓という窓を覆い外を見ないようにします。
そこから奇妙な共同生活が始まります。
時に食べ物が足りなくなればスーパーまで周りを見ないように行くこともありました。
しかし、一人、また一人と死や裏切りによって仲間は減っていきます。
そんなある日、マロリーとオリンピアは破水してしまい無事出産します。
しかし、仲間の一人がすでに”それ”によって頭がおかしくなってしまっており、オリンピアやダグラスたちを殺しはじめます。
なんとか生き残ったマロリーとトムは子供をボーイとガールと呼び、ひっそりと生活をしていました。
ある日寝ているとトムは無線に飛び込んできたリックという男から安全な場所の話を聞きます。
そこに行くか意見が分かれる二人でしたが、ある日外を散策していた矢先に”それ”にすでに洗脳された人間たちによってトムが殺されてしまいます。
結末ラスト
トムが死んだことでマロリーはリックの言う安全な場所へ向かいます。
鳥の声を頼りにたどり着いた先は盲目者の学校でした。
そこでは鳥がさえずり、多くの人間が生活していました。
子供の名前を聞かれたマロリーは二人の子供に死んだ親の名前であるトオリンピアとムと名付けました。
バード・ボックスのネタバレ考察
(以下完全な個人の私見考察です)
Netflix(ネットフリックス)オリジナル映画バード・ボックス最大の謎は”それ”の正体は何だったのか?ということでしょう。
これは私がバード・ボックスを見てきた中で気づいたことからこの物語の内容を深堀して解説していこうと思います。
作品の発するメッセージ
映画序盤にマロリーとお姉さんがはじめに見ていたこの絵を思い出してほしいです。
多くの人間が一つのテーブルについてうつむいている作品です。
これをお姉さんは「孤独」と表現していましたが、マロリーの解説では「繋がりのない人間関係」と表現していました。
現代社会の人間のつながりは昔と違い、電話やメール、SNSだけのオンラインだけの仮想の繋がりだったりします。
通常は全員が同じ場所にいて相手の顔を見ながら相手の表情や性格などを感じ取りながら人間関係をとりますが、今のネット社会では相手の顔も名前も知らない相手との関係のほうが圧倒的に数も時間も多くなりがちです。
絵でも多くの人間が一同に介しているように見えますが、光の当たり具合が全員おかしく、全員実は違う場所にいたりするのではないか?という気がしています。
(女性を見るとテーブルの真ん中に光源がありそうですが、その割にはほかの人への影の出方が一様ではありませんし、後ろの人たちはまるで切り張りしたような描き方です)
つまり「繋がりのない人間関係」=壊れやすい人間関係がこの映画のテーマです。
そしてそのテーマどおり、”正体不明の敵に襲われる”という恐怖体験を通じて人間は助け合えないのがこの映画です。
マロリーの成長
さて、そんな助け合えない人間の一人がマロリーです。
マロリーにとって人間関係というのは煩わしいもので、彼女にとって親子の関係も”仕方なく”営んでいるものに見えます。何しろ自分の子供に名前をつけることもなくボーイとガールと呼んでいるのです。これは(他人の)人間性の否定ともいえます。
彼女にとって見えているものが全てで、見えていないことには価値がありません。
生きることに意味があり、その質には興味がありません。だから名前なんてほかの人との違いがわかればなんでもよく、極論すると番号でもいいのです。トムともその点はケンカしていましたが、生きることが目的であり、どう生きるか?までは興味がありません。
それは薄い人間関係に慣れすぎてしまった人間が濃密な人間関係を作ることを下手になってしまった弊害ともいえます。子供は親からの影響をもっとも受けますが、マロリーが与える子供へのマイナスの影響は計り知れないものがあるでしょう。
ラスト考察から見える裏のメッセージ
ラストで盲学校へたどり着いたマロリー。そこで彼女は自分の子供に名前を授け、親子の絆を再発見しますが、これはハッピーエンド!と一見見えます。
しかし、本当にそうでしょうか?
映画の題名を思い出してください。バードボックスという題名は「鳥の箱」です。
この作品でも重要な存在の鳥は、人間に飼われる場合、常にカゴや箱に入れられています。
彼らは鳥の最大の特徴”自由に飛び回る”という行動を制限され、一生をカゴで過ごします。
まるでバード・ボックスの中で出てくる人間たちみたいではないですか?
マロリーたちはおそらく一生あの盲学校の中から出ることはできないでしょう。ほかの家に閉じこもっている人間たちもそうです。
しかも人間最大の特徴”視覚”を奪われた状態で、です。
人間も「カゴの中の人間」に
ここまで見るともう一つの恐ろしいメッセージが見えてきます。
実はこの映画を見ると、人間が今まで鳥に対してしてきたことをそのまま人間がやられているのです。
人間が鳥を飼いならすように”それ”は人間の特徴である視覚を奪うことで、人間をかごの中の鳥にしてしまったのです。
バード・ボックスの世界では目の見える人間は絶滅し、目の見えない人間だけが生き残り、家の中でその余生を過ごすことになります。
ペットの鳥も同じです。
野生の鳥はみな絶滅し、飛ぶことができない鳥だけが人間の家の鳥かごで余生を送ることになります。
そんな環境保護のメッセージをバード・ボックスで感じ取りました。
映画ハプニングとの類似点
少し余談ですが、私がバード・ボックスを見た時にシャラマン監督の映画「ハプニング」に似ているな、と思いました。
「ハプニング」はこちら↓
【映画レビュー】そのメッセージを読み取れ!ハプニングのあらすじ・ネタバレ【原因を解説】
簡単にあらすじを言うと、ある日突然人間が多くが集団自殺を始め、主人公が必死に逃げ回る、という話です。
もうこれだけ言えばバード・ボックスの内容とドンピシャですよね。
実はこちらの映画ハプニングのほうでもその死亡の原因となるものを私なりに考察しています。
”それ”の正体が気になる方もいると思いますが。映画「ブラインドネス」や映画「アイ・アム・レジェンド」同様に、人間を襲う「”それ”の正体自体に意味はない」と私は考えています。
つまり、超自然的な力や超上的な神さまの力が関与しているかもしれませんが、基本的に物語の主眼がそこにはないというのが正しいでしょう。むしろこの作品の伝えたいメッセージである「人間関係の希薄化」「動物のペット化による環境破壊」のほうが重要だと考えられます。
”それ”の正体のまとめ
強いて結論を出すとすれば”それ”は私たち人間を支配する新たな存在です。
鳥に対して人間がそれをしてきたように、新たに人間を支配する存在が”それ”なのです。
人間は”それ”のせいでまるでかごに入れられた鳥のように不自由な生活を送ることになります。
しかし、一方でマロリーのようにうわべだけではない人間関係を築くことができるようになりました。
私たち人間にとってどちらが幸せなのでしょうか?
最後に
はじめにも書きましたが、ネタバレ解説の部分は完全な私見ですので合っている、間違っている、という意見はあるかもしれません。
Netflix(ネットフリックス)オリジナルの本映画は単に、殺されるから怖い、というものではなく、人間が新たな力によって無力化されるディザスタームービーとしての一面があると思うと、ラストで描かれたハッピーエンドっぽい結末が少し物悲しいものに感じてしまいます。
ですが、それは私たちが鳥に対してやってきた行為(ケージに閉じ込め飛べないようにする)と同じと考えると感慨深いものがあります。