映画スプリットの評価
★★★☆☆
M・シャマラン監督の作品と言えば映画シックスセンスのように気持ちよく物語が流れていき、起承転結を作ったあとでひっくり返す「起承転結転結」という作りをする監督です。
この流れを「面白い!」と思えば満足ですし、「なんやねん!」と思えばつまらない、そんな監督です。
さて、完全なネタバレになりますが、本作はM・シャマランの偉大な作品「アンブレイカブル」と世界観を同じくした作品です。
【魅力解説】アンブレイカブルのあらすじとネタバレ感想【M・シャマランの世界考察】
そのため、まず「アンブレイカブル」を見たか?ということでこの作品を楽しめるかが決まります。
私は「アンブレイカブル」を見たので面白かったが、「アンブレイカブル」には及ばないので★は3つにしています。
映画スプリットのあらすじ
小さいころから叔父に性的虐待を受けていたケーシー・クックはクラスメートの誕生日会の帰り道にクレア、マルシアたちと一緒に見知らぬ男に誘拐されてしまいます。
暗い地下室のような場所に閉じ込められた3人はケビンと名乗る男から脱出する機会を伺っていました。
ある時、ふとドアの外側でケビンとパトリシアという女性が話している声が聞こえましたが、誘拐犯のケビンは解離性同一性障害、いわゆる多重人格だったのです。
その後デニスという支配的な人格や、ヘドヴィグという子供の人格も含めて、彼の中には23人の人格がありました。
彼は子供ころに母親から虐待を受けたことで多重人格となり、主治医で精神科医のカレン・フレッチャー博士のところに通っていました。
フレッチャー博士は、通常多重人格のような人は”障害者”として弱者の扱いを受けますが、むしろ健常者よりも多くの可能性を秘めているのでは、という研究をしていました。
23人の人格はどれも24人目の人格である「ビースト」の存在を信じていました。
超人的であるビーストはまもなく現れ、「痛みを知らない無垢なものたち」として生贄にするために3人は誘拐されたと言われます。
フレッチャー博士は面談に来るケビンが不審な行動をとっていることから誘拐事件の犯人ではないかと疑いはじめます。
真実を確かめるためにケビンの元へ訪れた博士は、拉致された女の子を発見し、デニスにつかまってしまいます。
その頃、ケビンの中ではビーストが誕生し、彼は博士を見つけると絞め殺してしまいます。
博士は最後に力を振り絞り、彼の本名である「ケビン・ウェンデル・クラム」を書き残します。
ビーストはクレアやマルシアを襲われてしまい、ケーシーは彼の本名である「ケビン・ウェンデル・クラム」と呼んでケビンの人格を呼び出し、脱出するために銃の場所を聞きます。
スプリットのラスト結末
地下を逃げるケーシーは銃で何度もビーストを撃ちますが、彼を殺すことができませんでした。
ケーシーがもうだめかと思ったその時、ふとビーストはケーシーが虐待を受けた跡を見つけました。
彼はケーシーは不道徳な者ではなく、純粋な者と見なし、何もせずにそのまま姿を消しました。
ケーシーは通かがかりの一般人に保護されます。
また、廃屋では、デニスたちが「ビースト」が世界を変えると称賛し合っていました。
場面は変わりダイナーでは一連の事件のニュースを見て女性が昔の事件の話をしていました。となりに座るデヴィッド・ダンは「それはMr.ガラスのこと」だと言いました。
スプリットのネタバレ解説・感想
冒頭書いた通り、このスプリットという作品は「アンブレイカブル」という作品と世界観を同一にしているため、「アンブレイカブル」を視聴してから見ることをおすすめします。
【魅力解説】アンブレイカブルのあらすじとネタバレ感想【M・シャマランの世界考察】
何しろこの映画は何も知識もないまま見てしまうと「女の子が誘拐されるスリラー映画」という評価になってしまい
・誘拐される女の子に魅力がない
・誘拐する犯人に迫力がない
・ハラハラドキドキがない
ということでスリラーとしてはいまいちな出来になっているのです。
アンブレイカブルのデビヴィットのように
「超人的な能力を持つ人間が世の中にはいる」
という観点から見ていくと掘り下げられていくケビンからビーストのほうに視点が生き、最終的にラストの結末に納得することができます。
以降はアンブレイカブルのデヴィットとスプリットのビーストを対比しながら本作を掘り下げていきます。
デヴィットとビースト
アンブレイカブルでミスターガラスこと、イライジャは「自分の真逆の人間がいる、悪者とはヒーローの真逆にいるもののことだ」と言っていました。
ビーストは銃弾が効かないこと、超人的な能力などデヴィットと共通点は多いものの、彼の根本は「痛みを知らない無垢なものたち」を生贄にするという一点に集約されており、危ない人格であることは一目瞭然です。デヴィットは死なない肉体、悪党を見分けられる能力を持ちながら自らは人を助けるヒーローとしての道を進みます。
ラストの展開から見てもこの対極的な二人はいつかぶつかり合い、互いに殺すものと守るものとしての責務を果たしていくのでしょう。それが2019年公開予定の「ミスターガラス」なのでしょう。
ビーストは絶対悪か
スプリットを見ていて感じて私は気持ち悪さを感じました。
それはビーストが悪者でもあり、正義でもあるという点です。
ビーストが無垢なものを生贄に捧げる点から頭がおかしい悪者とすることに疑いの余地はないでしょう。
ですが、一方でビーストには「救うもの」としての一面があります。
元々ビーストは他の23人の虐待によるトラウマにより生まれた人格とはルーツが違います。
彼は23人が救いを求めるヒーローとして”意図的に作り出された人格”なのです。
そのため、ビーストは弱者に寛容であり、弱者の味方です。
作中では軽視されがちですがケーシーとの関係を思い返してください。彼女は幼少期に親を失い、叔父に性的虐待を受けるという社会的弱者です。
彼は自らに銃口を向けた相手であってもケーシーを殺すことはありませんでした。なぜなら彼の存在意義こそが”弱者の救済”であり、彼女を殺すことは彼の存在意義そのものを否定することになるからです。
これらを考えるとビーストの存在がもやっとしてしまい、この映画が気持ち悪く思えてしまいます。
ジェームズ・マカヴォイの怪演
さて、作品の細かいところを見ていくと、本作の最大の楽しみはマカヴォイの怪演にあります。
坊主頭のイケメンが突然女装して女言葉をしゃべったり、突然筋肉ムキムキのやばい獣になったりとまるでモノマネ芸人顔負けの多重人格を演じてしまいます。
それがときに悲しく、恐ろしく、怖いくらいの演技で見ている人間を引き込んできます。
マカヴォイと言えば、X-MENでプロフェッサーXを演じていましたが、それも一筋縄ではなく、酒浸りだったり癖のあるキャラでした。
本作でもビーストを演じる上で彼の癖のある演技は欠かせないものであり、次回作の「ミスターガラス」でも年を取ってほとんど動けないブルースウィリスたちの代わりに元気に走り回ります。
最後に
この映画はミスター・ガラスに続く3部作の2作目です。
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