悪の教典の評価
★★★☆☆
三池監督の作品というのは相変わらず評価が難しいのですが、個人的には面白く見る事ができました。
話としては面白くテンポもいいのでサクサク見る事ができるのはいい点ですが、残念な点としてはサイコパスを演じるのは結構大変だと思うのでそこが描ききれなかったかなと思っているので★は平均の3つです。
ラストのほうは殺戮が繰り広げられるのでここを不快に感じる人はいるかもしれません。(私は好きですが)
悪の教典のあらすじ
気さくな性格と爽やかな見た目から生徒たちから圧倒的な人気を集めるハスミンのあだ名で親しまれている英語の高校教師・蓮実聖司。
彼と接する人がみんな彼を一目置く模範的な教師でしたが、彼には裏の顔がありました。
彼は目的のためなら人を殺すことに躊躇しないサイコパスで、自分にとって不都合な人間を殺していきます。
中学生のころから殺人を繰り返していた彼は、自分の正体がバレそうになると家族も殺してしまいました。
彼は自分の生徒であるミヤと恋仲になりますが、彼女も正体に気づきそうになり殺してしまいます。
しかし、殺害現場を偶然別の生徒に見られてしまったことでクラスの全員を殺すことを心に決めるのでした。
悪の教典のネタバレ感想と見所
ストーリーはシンプルです。
一人の男がサイコパスで、自分の思い通りにならないことについては殺人も厭わないというストーリーです。
その点で終始頭のいかれた役を伊藤英明が演じています。
なぜ伊藤英明か
当時海猿がはやったこともあり伊藤英明といえば、さわやかな熱血体育会系という感じがありました。その彼がなんでこんなイカレた役をしたかったのかが、他のレビューサイトでも書かれています。
「キャラにあってない」「キャラを壊してる」など否定的な意見がありますが、個人的にはこんなにあっているキャラはいないのではないかと思いました。
というのもハスミンは表向きはまじめ、さわやか、人懐っこい、男らしいというまさに伊藤英明が地でいくような感じであっているのです。そして、その彼が実は、、、、、、、というのがこの作品の見所なのです。
だからこし、「ザ・怪演」というような人にはあっていないのです。拭越満や佐野史郎が演じていては、それは内に秘めたサイコパスではなく、「ザ・サイコパス」になってしまうから意味がないのです。
レトロな音楽のバランス
作中幾度となく流れる「マック・ザ・ナイフ」音楽のチョイスはいいです。
ハスミンの頭の中の声というか悪魔が暴れだすときに、まさに彼が脳内麻薬のように音楽がなれるのは彼がトリップしているのがよくわかるすばらしい演出だと思います。
「鮫の獰猛な歯は真珠のように真っ白で、でも、殺し屋マッキーのナイフの鋭い刃の閃光と同じなのさ」
作中流れるこの音楽はまさにハスミンを表すすばらしい音楽です。むしろ音楽ありきで彼のキャラができたのではないかと思ってしまうほどです。
ハスミンを描ききれない残念さ
この作品が完璧な作品になりえない要素はハスミンのキャラ作りにあると思っています。
ハスミンは決して頭がいかれたアホではありません。通り魔的に人を殺すのでもなく、娼婦を夜な夜な殺す殺人鬼でもありません。
彼は天才であり、何でもやりたいと思ったことはできるのです。それが殺人であってもです。それを知ってるからこそ自ら好きに生きるのです。
カンニングをやめさせるために法律をおかし電波を妨害しますし、いいなと思った女子は生徒だろうが手を出します。カンニングの犯人をあぶるために拷問なんてお手のもの。自分の正体に気づこうとする人は容赦なく切り刻みます。
彼はブレーキのない車であり、常に0か1の合理的な判断しかできません。彼に法律やモラルなどというものを期待するほうがおかしいのです。
そんなハスミンだからこそカリスマ性があり、あらゆる人を騙し思い通りに操るのです。
というのが私のハスミンの解釈ですが、映画ではこの完璧者のハスミンを半分くらいしか描けていません。
もっと天才的な才能を発揮してもいいように思いますが、だいぶ抑え目な出来となっています。
映画内の殺人のほとんどが彼が正体がばれそうになってした「尻拭いの殺人」なのです。そうではなく、彼が理想の教育現場を作るために邪魔者を殺していく「前向きな」殺人を持って取り入れてほしかったなというのが正直な感想です。
ラスト結末を解説
この映画ではどうしてもハスミンを描ききれていません。
映画予告編を見てもなぜハスミンがクラス全員を殺したのかがわかりません。
場合によっては単純に殺人鬼という見方もできますが、原作を見るとその理由も納得です。
原作の小説ではミヤを殺したあとに他の生徒に殺害現場を見られた結果「木を隠すなら森の中か」という台詞があります。
つまり、殺害現場を見られた生徒を殺すことを隠すために「美術教師による銃乱射事件」をでっちあげようとしたのです。
「次のゲームがはじまっている」の真意
ラスト結末のシーンで印象的なのは3つです
①捕まったハスミンが「生徒が全員悪魔にのっとられた」とイカれたフリをする
②ミヤが生きていて「ハスミン」とつぶやく
さて、生き残った女生徒が「次のゲームがすでにはじまっている」と話していたのが木になります。
ひとつの解釈はハスミンが精神異常で無罪になる準備(ゲーム)をはじめているという考え方です。
ハスミンにとってすべては思い通りになるのがこの世の中です。
そのためその気になれば「無罪」を勝ち取れるのです。
そしてもうひとつはこれは完全に想像ですが、「ハスミン」の後継者が生まれたという可能性です。
彼の意思を継ぐ人間は誰か、可能性としてはハスミンに傾倒する人物としてミヤがあげられます。「To Be Continue」の中にだけ真実があるのでこれは続編を期待したいと思います。
悪の教典の最後に
名作になれる可能性を感じる作品でしたが、いかんせん尺が足りないのと説明が足りないためにハスミンの魅力が語りきれなかった作品といえるでしょう。
また、暗示的な部分が多すぎるのも見る側に負担です。
たとえば「オーディンによろしく」という台詞がありました。さらにこの作品にはオーディンに関連してフギンとムニンに擬似したカラスが2羽出てきますが、この辺も解釈が難しいところでした。
続編があるならそこらへんもうまく説明してほしいですね。