【ネタバレ考察】聖なる鹿殺しのあらすじとラスト結末の解説

聖なる鹿殺しの評価

★★★★☆

ギリシャ神話になぞった作品です。

出演者は名だたる人たちなので、作品の重厚感はたっぷりあります。

普通の作品ではないですが、こういう暗い話は結構好きなので高評価です。

基本悲劇のお話なので、バッドエンドや暗い雰囲気のお話が好きな人はぜひご覧ください。

聖なる鹿殺しのあらすじ

心臓外科医スティーブンは、眼科医美しい妻のアナと健康な二人の子供キムとボブの4人家族です。

豪邸に住み、何不自由ない生活を送っていました。

一方でスティーブンには、もう一人時どき会っている少年マーティンがいました。

マーティンは心臓外科医になりたいという夢を持っており、父はすでに亡くなっていました。

スティーブンは彼に腕時計をプレゼントしたり病院を案内したりと何かと気にかけてやっていました。

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ある日、マーティンを家に招き入れ家族に紹介したあとに奇妙なことが起こり始めます。

まず息子のボブが歩けなくなってしまいます。

病院で色々な検査をするものの、原因は不明でした。

するとマーティンが不思議なことを言いだします。

スティーブンは罪を償わなければならない、でなければ家族に最悪の結果が訪れることになると。

マーティンは自分の家族を殺されたので、スティーブンの家族も一人誰かを殺さないと全員が死ぬことになると言い出します。

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スティーブンははじめは信じませんでしたが、そのうちにキムも歩けなくなってしまいます。

時間がなくなってきていることに焦るスティーブンはマーティンを監禁、拷問もしますが、効果はありません。

最終的に3人に袋をかけて目隠しをして銃を撃ちます。

結果的にボブが犠牲になってしまいました。

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後日ダイナーで食事をしているとマーティンが店に入ってきました。

スティーブンたちは話しかけることはなく、店を後にするのでした。

聖なる鹿殺しのネタバレ解説

素直に見てしまうと淡々と進むストーリーと「え、なんで?」という箇所が多くなってしまう作品です。
本作を理解するには背景にあるギリシャ神話や聖書の理解を進めていく必要があります。
今回も個人的に調べた範囲内で、聖なる鹿殺しの内容を見ていこうと思います。

ギリシャ悲劇アウリスのイピゲネイア

公式パンフレットにも記載されていますが、元の題材となったとされているギリシャ神話の悲劇はアウリスのイピゲネイアという話です。

このお話を簡潔に言うと、アウリスにてギリシア軍を率いるアガメムノンが、トロイ軍との戦に勝つために娘イピゲネイアを狩猟の神であるアルテミスに犠牲に捧げてしまうという話です。

話の大筋からすると、家族の命を助けるためにスティーブンがやむなく、息子のボブをマーティンに差し出すというような構図が見られます。

実際にアウリスのイピゲネイアの中でもアガメムノンは「ヘラス人(彼らの民族)のためにお前を殺さなければならない、お前も私もできる限りのことをしなければならない」と述べており、
イピゲネイア自身も「アルテミスが私の身体を望んでいるのであれば捧げましょう。トロイアを滅ぼしてくだされば、それが私の永遠の思い出となる。子供たち、結婚、名誉すべて私のものとなるでしょう。」
と述べており、イピゲネイアは自ら犠牲になることを了承しています。

参考はこちら

実はこのイピゲネイアの台詞は全く同じような内容を作中のキムが言っています。
「自分を殺してほしい。パパは私の支配者だから好きにしていい。家族を愛している。」と。

まさにキムとイピゲネイアには同じような面が多くあります。

さらに捕捉するとキムはイピゲネイアの悲劇に関する作文で高い評価を受けています。

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このことから彼女はいます。イピゲネイアの悲劇について詳しく知っており、自身をその悲劇のヒロインに重ねていたことが考えられます。

ボブの死は偶然か必然か

作中で最終的にスティーブンは目隠しをしたままルーレットのようにぐるぐる回り、やむなく家族の一人を射殺します。
結果的にボブが選ばれてしまい、ボブが死んでしまいます。
この点、アウリスのイピゲネイアでも最終的に生贄に出されたのは身代わりの鹿であったという逸話もあるのです。(これには諸説あります)

ラスト結末の解釈

アウリスのイピゲネイアには続きがあります。
実は娘を生贄に差し出したアガメムノンは、その妻に恨まれ殺されます。そして、妻は息子に殺されてしまうのです。
つまりアウリスのイピゲネイアのギリシャ悲劇には子殺し→夫殺し→親殺し、という3つの悲劇があるのです。(これも諸説あります)
さて、聖なる鹿殺しに戻ると、子供を殺してしまったスティーブンは、この後妻のアナに殺されてしまい、娘のキムがアナを殺すことになるのでしょうか。
実はこれは十分ありえると思っています。作中、ボブは母親のアナにかわいがられていましたので十分に夫を恨むでしょう。しかも、スティーブンが事前にアナに浮気をしていたことや、今回の事の発端がスティーブンの飲酒による事故であることを吹き込んでいます。
かわいい息子を救いようのない夫に殺されてアナはどう思ったでしょうか。

さらに、娘のキムは作中歌をお父さんに披露したり、病院でお母さんをクソババと呼んだり、どちらかといえば、父を好き、母を嫌う傾向にあります。
もし、父を母が殺したら、キムが敵を討つ可能性があるのではないでしょうか。

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ラストのダイナーでのシーン

ラストシーンのダイナーに3人の家族が集まっているところにマーティンが現れます。
スティーブンのテーブルではキムがポテトにケチャップをかけています。
このシーンは冒頭のシーンでマーティンがスティーブンと待ち合わせして食事しているシーンを彷彿とさせます。
このときのマーティンの台詞です。
「ポテトは大好きなんだ。だから、一番最後に食べるんだ」
もし、本当にこのあと子殺し→夫殺し→親殺しが実現したあとに残ったキムはどうするでしょうか。
これも完全な予想ですが、最後にマーティンとくっつくと思いませんか?
作中でもマーティンとキムは恋人同士のような雰囲気を出しながら最終的にマーティンが一歩引いていました。
キムは下半身不随になりながらもそれでもマーティンを愛している節がありました。
マーティンがもしキムを好きなのであれば、それはポテトと一緒で最後にいただくのです。(両親ともに死んだあとに)

最後に

ただし、単純にこの作品を現代版ギリシャ神話というには早急すぎると思います。

あまりギリシャ神話のほうにとらわれすぎると本作の見どころを見逃すことになります。

それは、結局誰を殺すことを選ぶか?というところです。

ギリシャ神話では殺す相手を選べませんでしたが、今回は選ぶ必要があり、後半ではアナ、ボブ、キムがそれぞれスティーブンに媚を売り始めます。

普通は母親のアナが自ら死を選ぶような気がするのですが、平然と「殺すなら当然子供。私たちならもう1回子供作れるから」というとんでもないことを言いだします。

ここらへんを人の業の深さというか、身勝手さ、我が身可愛さとみるとなんとも空しい作品に感じてしまいます。

バッドエンドがそれなりにOKな人であればぜひ一度ご覧ください。