映画セルの評価
★★☆☆☆
普通に見るとなんともつながりのない展開や理解できない展開に戸惑います。
ただ、携帯を媒体に感染するというのは新しい発想で、パニックものとしてはじめの30分はワクワクしながら見ることができます。
映画セルのあらすじ
離れて暮らす妻と息子に空港から電話をしていた作家のクレイ(ジョン・キューザック)だったが、携帯の電池が切れてしまう。
すると、周囲で携帯電話を使用していた人々が突如凶暴化し他人を襲い始め、空港は大混乱に陥る。辛くも地下鉄へ逃げ込んだクレイは、車掌トム(サミュエル・L・ジャクソン)、少女アリス(イザベル・ファーマン)と協力し、暴徒の襲撃をかわしながら妻と息子のもとへ向かう。
映画セルが暗示していること
映画セルはスティーブンキングの作品ですが、何とも不評ですね。
それはキングらしいフワっとした結末と風呂敷を回収しそうで全くしないその感じが気持ち悪いからでしょう。
キングの映画は彼自身が深く考えすぎてしまい「結局何が言いたいの?」と言うケースが多いのでこちら側がある程度想像をしながらすすめるしかありません。
彼らは死人なのか
さて、根本的にゾンビ映画ではあるのですが、注意すべきは今回のゾンビは死人が生き返るというものではありません。
あくまでも携帯やスマホの電波によって頭がおかしくなってしまう人たちの話です。
元々ゾンビ映画の大家ジョージAロメロはゾンビを決して死人として描くだけでなく、現代人への皮肉として作品を作っています。
本作もキングがスマホや携帯電話によっておかしくなってしまった人という現代人への皮肉を込めているとみると作品が少し違って見えてきませんか?
携帯で凶暴になる人たち
現実世界ではおとなしい人たちがネットの世界で他人を非難したり攻撃したりすることがあります。
ネットの匿名性が知らず知らずのうちに他人を傷つけています。
そんな状況を本作は表しているのではないでしょうか。
私たちはスマホという小さな箱を通じて知らず知らずのうちに他人を攻撃し傷つけています。
まるで作品の冒頭の空港の地獄絵図のように。
そこから身を守る手段はただ一つ。スマホを置くことです。
スマホで考えることをやめてしまった人間
スマホがあると人は考えることをやめてしまいます。
ちょっとわからないことや気になったことはググるだけで全てわかってしまうため、知識を付ける必要がないのです。
ラストで阿呆のように生気を失って歩く人間たちは完全に知性を失ってしまった人間であり、スマホ中毒になってしまった人たちを指しています。
スマホがないとコミュニケーションが取れない
スマホがないと少し遠く離れた人たちと突然連絡が取れなくなってしまいます。
不便でしょうがない世界に人々は嫌気がさしてしまい、結果的に全員またスマホの世界に戻ってきてしまうのです。
スマホが使えないと不安でしょうがない
スマホがない世界では不安があふれています。
作中で自分の息子が無事なのかどうかすらわからず落ち着きません。
一昔前は「相手の安否がわからないことが当たり前」だったのに、今ではすぐわからないと不安になってしまうのです。
スマホによって死人のように
ネットの世界ではいくらでも自分の妄想を膨らませることができます。
自分が欲しいものを手に入れ、知りたい情報をいくらでも知ることができます。
でもそれは現実世界には何も生み出していないことがあります。
SNSを例にとればネットの中でいっぱい友人がいたり、自分の思い出や考えをシェアしても結局現実世界では満たされていないことがあります。
最後電波塔のまわりをぐるぐると回る、阿呆な表情をした彼らはまるでSNSばかりして引きこもっている人を彷彿とさせます。
映画セルの最後に
セルはつまらない映画であることは間違いないですが、それでも伝えたいメッセージを感じていけばそれなりに見れる作品ではないでしょうか。
鬼才スティーブンキングらしい考えさせられる作品です。