映画「マザー!」から見るエコフェミニズムと日本人【ネタバレ解説】

映画マザー!は見ても見ても日本人の感性からは理解できない部分も多くあると感じました。映画マザー!自体の解説はこちら

本作を環境破壊という視点からすると、エコフェミニズムという考え方が見えてきますが、明らかに日本人には薄すぎる考え方なので改めてその観点から解釈したいと思います。

映画マザー!のあらすじとキャスト

【あらすじ】

ある郊外の一軒家に妊婦の妻と夫が住んでいた。ある夜、家に不審な訪問者が訪れる。
夫はその訪問者を拒むこともせず招き入れる。
それをきっかけに、見知らぬ訪問者が次々と現れ様々なトラブルを起こす。それと共に豹変し始める夫。
そんな夫と訪問者たちに不信感と恐怖を募らせていく。

【キャスト】

ジェニファー・ローレンス『パッセンジャー』『世界にひとつのプレイブック』『X-MEN』シリーズ
ハビエル・バルデム『ノーカントリー』『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』『それでも恋するバルセロナ』
エド・ハリス『アポロ13』『ゼロ・グラビティ』『スノーピアサー』
ミシェル・ファイファー『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』『オリエント急行殺人事件』

エコフェミニズムとは

エコフェミニズムとはエコロジー(自然保護)とフェミニズム(女性保護)の二つが同じ概念、同じ根源を持つ思想であるとする考え方です。

元々1974年、フランス人フェミニストのフランソワーズ・デュボンヌが創出した考え方で、自然破壊と、女性差別には同じ根源があるとしたのがはじまりです。

これだけ聞くと「なぜ?」と思うかもしれません。

この考え方は自然⇔文明、女性⇔男性という考え方があります。

つまり、先史時代は自然とともに過ごしていたころは人間は自然の中の一人の生き物として暮らし、子供を産める女性は生命の循環を司る大事な存在として群れの中でも守る存在として大事に扱われてきました。

しかし、文明が発達して、機械工業化が進んでくると自然は共存するものではなく、消費する者として認識されるようになります。

同時に男女の関係も分業という形で男性が仕事や文化、政治を行い、女性は子育てや家族を守る存在として男性上位の社会的地位を築くに至りました。

結果的に男性優位であることと文明第一主義であることは同じことであり、生物の循環のコアとなる女性は自然から独立することができず、相変わらず男性に搾取される存在としていまだに差別を受ける立場にあります。

日本人は特にエコフェミニズムの感覚が薄い

女性の社会進出という言葉は逆に言えば女性は社会に進出していないということの裏返しに他なりません。

つまり男は働き、女は専業主婦として家にいる。今の女性は大学に行って就職しても結局結婚か子供を産むことで退職し、専業主婦になる人が少なからずいます。数十年前にはそれが当たり前でした。

ですが、専業主婦となることで社会から隔離され、誤解を恐れず言えば、家庭という狭いコミュニティで男性に隷属することとなります。

よく言われることですが、北欧では専業主婦率は2%ほどだと言われますが、日本ではまだまだこの割合に遠く及びません。

エコの観点で見ても例えば他国が電気自動車に切り替える中で、相変わらずガソリン車ばかり街中を走っています。

発電自体もエコを考えれば火力よりも原子力のほうがエコですが、「人間にとって危険だから」という理由で基本的に原子力でなく火力を選びます。これも人間本位の考え方だからこそ出る考え方で、世界中の生き物で多数決を取ったらおそらく火力発電のほうが地球をだめにするからやめてくれ、という生き物が多いのでないかと思います。

映画マザー!を見てみて

ジェニファーローレンス演じる彼女はとにかくはじめから最後まで彼の言いなりであり、振り回されます。

彼だけでなく、出てくる人物すべてに振り回され、挙句の果てに自分の大事な子供までも彼らの餌食になってしまいます。

具体的な内容は何でもいいのです、とにかく人間が何かを生み出しては彼女をいじめるのです。散々使われた挙句、彼女は自ら家に火をつけて、そして再び蘇ります。

一つは自然と女性の強さとも見れますし、一方で振出しに戻りまたいいように使われるであろう彼女が不憫でなりません。

彼女は結局自分らしい家を作ることも自分の子供守ることができませんでした。

最後に

私たちの感覚からしてもマザー!が意味するものは理解がしがたいです。それは日本人自体がエコフェミニズムの考え方に疎いからにほかありません。

ですが、環境保護と女性の社会的地位の向上は形式だけでなく、やはり実態を伴って行われるべきであり、男性や社会に使われるだけの存在であってはなりません。

男性は自然と女性に歩み寄る必要がありますね。