映画ディセントの評価
★★★★★
もう3回ぐらい見ている作品ですが、とても面白いですね。
人を食べる化け物=食人鬼の部分も十分怖いのですが、弊社恐怖症にはたまらない洞窟探検としてのパニックものとしても見れますし、必要異常に血みどろな感じを好演する
サラ役のシャウナ・マクドナルドもいい味を出しています。
そして、そんな絶体絶命な中でもなんだか物悲しい女同士の物語もあり、ホラーとしてよくできた作品だと言えるでしょう。
映画ディセントのあらすじ
サラは友人のジュノたちとともに川下りを楽しんでいたが、帰り道で夫の運転の不注意によって事故にあい、最愛の夫と娘を失ってしまいます。
月日は流れ、ジュノが中心にサラを元気づけようと6人でアパラチア山脈奥地の巨大洞窟を訪れます。
スリリングな洞窟探検を楽しむ中、突然の落盤で出口をふさがれた一行は、迷路のような洞窟内で別の出口を探してさまよう羽目になります。
助けを待とうにもジュノが今回ケービングに選んだのは名もなき洞窟であるため、だれもこの洞窟に来ていることは知りません。
一行は先行きの不安から言い争いや仲間割れもしながら先へ進みますが、リン鉱石の明かりを出口の光と勘違いしたホリーが走り出した結果、穴に落ちてしまい、足を骨折する大けがを負ってしまいます。
その頃サラは洞窟の中で人影のようなものを見ますが、だれも信じてくれません。
しかし、突然開けた洞窟の中で動物の骨や死骸が見つかり、突然人間のような獣のような食人鬼に襲われます。
ホリーがまず殺され、ジュノは反撃し食人鬼を倒しますが、誤って友人のベスを殺してしまいます。ベスはジュノにすがり、ジュノのペンダントをもって倒れこみ、怖くなったジュノはその場を逃げ出します。
その頃気絶していたサラは起き上がり、食人鬼たちをよけながら友人たちと合流しようとします。
ふと血だまりに倒れているベスを見つけ、ベスはサラにジュノがサラの死んだ夫と浮気していたこと、ジュノに見捨てられたことを告げて自分を殺すようにお願いします。
サラはベスを殺しジュノを探し出します。
その頃、サムとレベッカは化け物の群れから逃げていましたが、サムが大きな谷を渡る際に食人鬼に襲われ命を落とし、レベッカも死んでしまいます。
ジュノを見つけたサラはジュノにベスの安否を尋ねるとジュノは「すでに死んでいた」と嘘をつきました。
映画ディセントの結末ラスト
洞窟を進む二人ですが、食人鬼に囲まれます。
ふとサラはベスの持っていたペンダントをジュノに見せます。動揺するジュノがふと食人鬼に気を取られた隙にサラはジュノの足を持っていたピッケルで刺します。
ジュノはうずくまり、サラは先へ進みますが、ジュノは食人鬼たちに囲まれます。
サラが先へ進んでいくと、足を踏み外して地面に倒れこみますが、ふと上を見上げると明かりが見えます。それは明らかに外への出口であり、サラは走り出します。
外へ出られた喜びで車を運転して走り出すサラですが、舗装された道路で車を脇に富めると嘔吐してしまいます。
ふと顔を上げると恨めしそうなジュノがおり、そこでサラは夢から目覚めます。
目覚めたサラの目の前には死んだジェシーが誕生日ケーキとともに座っていました。
それも幻で、松明の光とともに食人鬼たちの奇声が響き渡りました。
映画ディセントのネタバレ解説
ディセントは単なるパニックホラー映画ではなく、作中でも物悲しい人間関係も見どころの一つです。
ラストを中心に考察していこうと思います。
結末ラストの考察
ホラー映画らしからぬ味のあるラストがこのディセントの特徴です。
冒頭の車の事故が彼女の人生を完全に狂わせてしまうわけで、最初から最後まで終始不安定な精神状態なサラです。
問題のシーンはラストの「外に出られたのは実は夢だった」というシーンです。
あなたはこのシーンをどう解釈しましたか?ここは個人的な2つのパターンを解説します。
解釈①人生への絶望
夫と娘を失ったサラに生きる目的はほとんど残っていませんでした。その最後の砦が5人の友人でした。
今回洞窟探検によって友人は5人とも死亡、しかもそのうちジュノは最愛の夫を奪い自分を裏切っていることまでわかってしまいました。
さらに彼女はジュノを見殺しにしています。いえ、あの状況ではほとんど殺したも同然です。
夢の中で彼女は一度外に出て車で帰り道を帰りました。
でもどこへ帰るのでしょうか?帰る先などないし、帰りを待つ人もいません。
それどころか自分を裏切っていたとはいえ、友人を一人手にかけてしまいました。
彼女にとって洞窟にいようが、地上に戻ろうがどちらも地獄です。
目を覚ました先にはサラの最愛の娘ジェシーが誕生日ケーキを前に祝ってほしそうにこちらを見ています。
まるで「死んだら待っているよ」と言わんばかりの彼女と、食人鬼の化け物たちの奇声から考えると、彼女が洞窟を抜け出さず、死を自ら選びそうなラストだと考えられます。
解釈②生きることへの執着
もう一つの解釈は実は①の真逆です。
サラは洞窟探検の前半は夫と娘の死をひきずって非常に消極的な生き方をしているように見えます。しかし、親友のベスを自ら手にかけてからのサラは別人のように「強い女性」となっています。
他の者がどんどん食人鬼にやられていく中で彼女は恐れることなく彼らを撃退していきます。
そこから見えるのは「なんとしても生きたい」というすさまじい執念とも見えます。
ここでサラがピッケルでジュノを刺したシーンを思い出してください。
なぜサラはジュノの首を刺さなかったのでしょうか?ベスの敵討ちや恨みのつもりであれば、彼女に止めを刺すほうがよさそうですが、彼女が選んだのはジュノを「動けなくする」ことでした。
これはジュノを「オトリ」にしたかったのではないでしょうか。
サラは「ジュノをオトリにしてでも生きたかった」という見方もできるのです。
そして、ラストでサラが娘の幻を見るシーンですが、彼女は死にたそうな目をしていますか?
これはかなり力強い目をしていると思います。
彼女はもはや娘の幻影を見ても心が折れなくなっているのです。
この物語はつまり彼女が更生していく過程の物語だと言えるのです。
ちなみにこの「過酷な状況でトラウマのある人間が生きる力を取り戻す」というのは映画エンドレスフィアーやSAWのアマンダなどがそれに該当します。
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個人的には②の説が好きです。
映画ディセントの最後に
ディセントの2もあり、続編になっています。2ではサラが生き残っているところからスタートしますのでそういう意味でもラストの解釈は②のほうが正しいかもしれません。ただ、2は独立した作品になっているのでそれほど1に影響を受けていなそうです。
もちろん、ホラー映画としても十分楽しめますが、それだけでない作品がこの「ディセント」なのです。