映画の受賞歴など
ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞はじめカンヌ国際映画祭でパルムドールも受賞した裏側ではブラジルとしては初のカンヌ国際映画祭での審査員賞を受賞した映画、それがこの「バクラウ 地図から消された村」なのです。
さらにホラー映画ではおなじみの色モノが集まる映画祭典であるシッチェス・カタロニア国際映画祭でも監督賞を含む3冠を達成し多くの話題を呼んだ作品です。
また、ブラジルの押し寄せる開発の波を惜しみなく表現している本作はアメリカのオバマ元大統領がベストムービーの1つとして挙げています。
映画のあらすじ(ネタバレ)
テレサは給水車に乗ってブラジルにある小さな村「バクラウ」に向かっていました。バクラウは山の中にあるいわゆる田舎の村でした。テレサは村長であるカルメリータの葬儀のために戻っているのでした。
葬儀はパコッチ(アカシオ)をはじめ多くの人が悲しみに暮れていましたが、村唯一の医師であるドミンガスだけはカルメリータの死に暴言を吐いていました。
葬儀も終わり、日常に戻っていた村民たち。学校の授業でタブレットの地図を見ながらバクラウの位置を先生が説明しようとします。しかし、いくら探してもバクラウは地図から出てきません。仕方なく紙の地図で村を解説します。
その日を境にバクラウでは奇妙なことが起きます。郊外に住む村民の死、謎のドローン、不自然な観光客、それはバクラウを狙うある”外国人”の企みだったのです。
バクラウのネタバレ解説
映画「バクラウ 地図から消された村」は映画としての完成度が高いのはもちろんですが、その背景にあるブラジルの激動の時代を監督クレベール・メンドンサ・フィリオの手によって完成された本作で垣間見ることができます。ここではそれを1つづつ解説していこうと思います。
ブラジル・ボルソナロ大統領への皮肉
2009年に本作バクラウの構想ができて10年以上の制作がかかっています。監督はその理由を「バクラウは大筋の脚本が出ていたのにも関わらず映画として伝えたいというコアの部分が欠けていた」という理由で何度も構想を変更しています。
クレベール・メンドンサ・フィリオ監督といえば映画アクエリアスが有名ですが、実はバクラウはそのアクエリアスよりも早く構想され、完成はアクエリアスより遅い作品なのです。
正確に言えばバクラウはお蔵入りするはずだった作品が2009年~2020年のブラジルの激動の時代変動によって復活したという解釈が正しいのです。そして、それはブラジルのボルソナロ政権の誕生にほかならず、彼の極右の考え方により多くのブラジル国民が暴力による国内の混乱を強いられることを皮肉っているのです。
ポルソナロ政権について語りだすと長くなりますがその要点を書くと以下の通りです。
- 元軍人であるポルソナロ大統領は保守派の極右であり、その強引な政策により恩恵を受ける富裕層とそうでない貧困層が存在する
- ポルソナロ大統領はトランプ大統領に傾倒しており、親米政策により多くの批判を受けている。
- たびたび人種差別の発言によって問題を起こしている
- 元軍人ということもあり銃の規制緩和を大統領令により半ば無理やり進めた
これらのボルソナロ大統領の行いを知ったうえで映画を見るとどうでしょう?
- 舞台となるバクラウは日用品をはじめ水にも困る貧しい地域である。一方で、生命線である水も政治や経済の思惑のために止められることになる。作中出てくる市長選候補のトニー・ジュニアは公僕とは程遠い見るからに裕福層で、賞味期限切れの食品を村人に配っては威張り散らしている
- 作中に出てくるバクラウを襲うのは”外国人”であり、まるでブラジルを食い物にするアメリカ人のようである。
- その外国人ですら、身内内で出身や肌の色でお互いの優劣を決め、それだけで相手を射殺することだってある
- バクラウを舞うUFO形のドローンは景色に全くあっていない。さらには田舎風景のどこに銃を持つ必要があるのか。それでもバクラウの人々は「どこで手に入れたのか?」と疑う間もないくらい平然と襲ってきた外国人を射殺する
バクラウに住む人々はまさにボルソナロ政権下で起きたブラジルの激動に翻弄される人々そのものを描いている作品です。ちなみにフランスの有名老舗映画誌「カイエ・ドゥ・シネマ」は「バクラウ」を表紙にした時、大きく「ボルソナロの世の中を生きるブラジル」というタイトルを打ち出していました。
「抵抗」する人々
クレベール・メンドンサ・フィリオ監督のインタビューの中で本作はラテンアメリカの「抵抗」を表しているといっています。
これは翻弄されながらもその中で武器を持ち、明確に「No」を突き付けるバクラウの人々の力強さがあるのです。日用品や医薬品を持たない彼らは、かわりに銃を持っており、明確なアメリカの侵略、腐敗した政治にNoを突き付けます。
映画としての完成度
映画としての完成度はもちろん高いのですが、ただそれはあくまでもオマケでしかないと感じています。
冒頭から散乱する棺桶や遺体、村長の死からはじまる地図からのバクラウの消滅と村人の殺害。それぞれのバラバラなものが少しづつ形になりながら、最後は銃殺というなんとも無味な終わり方をします。
最期に
ブラジルの時代的背景を知るとこの映画は何倍も楽しめる作品になっています。
ぜひボルソナロ大統領のことを知ってからこの映画をもう一度見直してみてください。