チャッピーの評価
★★★★★
面白かったです。
ロボットの感じからしてジュブナイルものなのか?アクションものなのか?わからないまま、先入観抜きで見始めましたが、最終的に多くの要素を含んだ映画でした。
しかし、小難しくそれを表現するのではなく、極めてシンプルに、かつ親しみやすいチャッピーというキャラクターを利用して監督が表現したいメッセージを表現しています。
チャッピーのあらすじ
近未来の南アフリカでは大手兵器メーカーTetravaal社が製造した、高性能の人工知能を取り入れたドロイドが治安に貢献し犯罪率はどんどん減少していました。
同社のロボットの設計者、ディオンはいまや社内の英雄として脚光を浴びていましたが、一方で人工知能に頼らないロボットのムースを開発しているムーアは窓際に追いやられていました。
ディオンは会社でのロボット開発とは別に人間の意識を持つ人口知能を作る研究をしていましたが、ある日それが成功し、現実に試したいと思っていました。
しかし、社長のミシェル・ブラッドリーは、彼の趣味の範囲の研究には力を貸さず、やむを得ず彼は廃棄予定だった22号を使って人工知能を起動することを思いつきます。
実行の日、車に廃棄寸前の22号を積み込み走り出しますが、ギャングの一団ニンジャ、ヨーランディ、アメリカに誘拐されてしまいます。
彼はやむをえずギャングたちのアジトで22号を起動します。
自ら学ぶ人口知能をチャッピーと名付け、ギャングの一人、ヨーランディは彼に多くの知識や人間性を教えるのでした。
一方でムースの実効性を証明したいムースはディオンが22号を使って人工知能の実験をしていることに気づき、チャッピーの存在を知ります。
ムーアはチャッピーたちを襲い人工知能のプログラムを管理するガードキーを奪いとります。
その後奪い取ったガードキーを使い、ウィルスを撒くことでディオンが作ったロボットたちは完全に無効化されてしまい、街の治安は一気に悪化します。
その頃チャッピーは自分の死が近いことを知り、「新しいボディーを買ってやる」とニンジャにそそのかされ、現金輸送車を襲う手助けをしてしまいます。
さらに悪いことにその姿がテレビに映ってしまい、ディオンの作ったロボットの悪評は高まっていったのでした。
ムーアはブラッドリーに「今こそムースを使うべき」と進言し、OKをもらいます。
ムースが狙うのは22号のチャッピーでした。
ニンジャたちのアジトではチャッピーを奪いに来たギャング、ムース、そしてチャッピーたちの三つ巴の戦いが繰り広げられるのでした。
チャッピーの結末ラスト
みんなを守るためにチャッピーが立ち上がります。
しかし、ムースの圧倒的な爆撃力にギャングたちは成す術もありません。アメリカがやられ、ヨーランディもやられ、ディオンはギャングによって致命傷を受けてしまいます。
チャッピーはなんとかムースを爆弾により倒しますが、ディオンは虫の息です。
チャッピーはムーアのいるオフィスへ行き、ムーアを倒します。そして、ムースを操っていたシステムを使い、ディオンの意識をロボットに移すことに成功します。
ロボットに意識の移ったディオンはチャッピーの意識も別のロボットに移すことにしました。
結果は成功。 二人は逃走し、ニンジャと合流します。
ヨーランディの死を悲しむニンジャでしたが、ふとUSBを発見します。
それはチャッピーがテストのためにヨーランディの意識を入れたものでした。
3人はTetravaal社のシステムにハッキングし、ヨーランディの意識の入ったロボットを製造しはじめました。
チャッピーのネタバレ感想
ホラー映画好きの私ですが、この映画にはとても感銘を受けました。
監督と脚本はニール・ブロムカンプという映画「第9地区」の監督と言えばピンとくる人もいるのではないでしょうか。
彼はプロパガンダを含んだ映画が得意で、代表作で大成功を収めた第9地区もヨハネスブルグを舞台にアフリカの人種差別を示唆したものと言われています。
今回のチャッピーは表向きはまるでロボコップのような正義のヒーローロボットの作品のように見えますが、その中では「命とは何か」「人間とは何か」という重要なテーマが含まれているように感じました。
チャッピーの純粋な疑問
チャッピーはAIという特性上人の何倍のも早く成長します。しかし、人間は知識や知能がいくら何倍も早く進化しても社会性だけはそうではありません。
「なんで人間は嘘をつくの」
「なんで創造主は死ぬように僕を作ったの」
「僕は死にたくないよ」
この言葉は知性や知能がいくら発達していても解決はせず、むしろそれらが発達しているからこそ絶望するのです。
逆に言えば、良くも悪くも私たちは無駄に発達しすぎた社会性によって、これらの疑問を無視して「今が楽しければよい」というふうに開ききって楽しんでいられるのです。
チャッピーは改めてこの点をするどく突くためのアイデンティティであると言えるでしょう。
人間らしい、人間以上の存在
一方で急速に成長するAIのチャッピーの言動はとても興味深いものでした。
はじめは言葉を覚えることからはじめて、人間らしさが身についてくると徐々にエゴが飛び出します。
彼は「死にたくない」という思いから、自分のルールの範囲内で人を傷つけます。
自分のボディを買うために他人のお金も取ります。
はじめはニンジャやアメリカに騙されていたのでしょうが、途中で現金輸送車を襲ったときからは「ごめんよ」という言動からして、罪悪感を感じている=悪いことだとわかっていることがわかります。
そして、たしかにヴィンセントムーアは嫌な奴でしたが、チャッピーは「あいつ嫌い」と言って彼をリンチします。
彼ほど人間らしいロボットはいません。一方で、彼は最後ムーアを殺しませんでした。「僕は君を赦す」こここそが、チャッピーが人間を超越した瞬間だと私は思います。
AIと生きることができるか
今回のテーマはAIが生命体のように意思を持ったらどうなるか、ということにあります。
ディオンはあくまでもチャッピーを研究対象として見ていました。彼は一見チャッピー思いに見えますが、終始彼が5日間で死ぬことを「仕方がない」と思っており、研究として重要と思っていたでしょうが、生命体として扱っている節はありませんでした。
ニンジャやアメリカはチャッピーを道具としてしか見ていません。
お金儲けのために強くなって、相手を威嚇する手段としてチャッピーを見ていました。
ムーアはチャッピーの存在自体を否定していました。
AIによる生命体は危険なものだと、はじめから存在するべきではないという意見です。
ただ一人ヨーランディだけがチャッピーを一つの生命体として、自分の子供のように彼を扱っていました。
さて、登場人物のほとんどがチャッピーを生命体としては見ていないのです。
女性特有なのか、すべての人間がヨーランディのようではないのです。
人口知能が発達してきたときに彼らの生き物としての権利というのが問題になります。なにしろ彼らは私たちと同じかそれ以上の知能を持っている可能性があるからです。
全員がヨーランディのようにAIを受け入れるとは限らないのです。
人とは身体か意識か
永遠に生きることのヒントがここにあるのは興味深いです。
人間の身体はなんとも脆く、交換が効かないのが欠点です。
それでも80年ぐらいは最近は持つようですが、永遠と呼ぶには短すぎます。
ラストでディオンやヨーランディは自らの意識をロボットに移すことで永遠に生き続けます。
しかし、彼らは果たして人と呼べるものでしょうか。
はたから見たらロボットの見た目をしているチャッピーとディオンに違いはありません。
しかし、ディオンは社会保証番号を持ち、戸籍を持っています。彼らは果たして人と呼べるのかは個人的に疑問です。
もう少し言えば、私はディオンがロボットになっているのを見て、彼が「永遠の命を得た」と見るには少し違和感を感じました。
果たして私たちの存在は身体と意識どちらに宿るのでしょうか?そんな哲学的な問いも私たちに投げかけてきます。
チャッピーの最後に
チャッピーがロボコップの影響を受けているのは間違いないように思います。
特にムースはロボコップ2で出てきた新種のロボにとても似ています。
ロボコップもはじめは誰からも受け入れられなかったのですが、徐々に人間の警官との信頼関係を築いていきました。
本作ではそんな昔からある「人間とロボット」の関係に深く切り込む一作だと思います。