隣人13号のキャスト・スタッフ・評価
スタッフ
製作:メディア・スーツ アミューズソフトエンタテインメント
制作:ピクス
原作:井上三太(幻冬舎コミックス刊)
監督:井上靖雄
脚本:門肇
助監督:岩井水男
撮影監督:河津太郎
アニメーション監督:井上卓
製作総指揮:木幡久美/宮下昌幸
エンディングテーマ:「はがれた夜」平川地一丁目(DefSTAR RECORDS)
キャスト
13号:中村獅童
十三:小栗旬
新井浩文
吉村由美
石井智也
松本実
劇団ひとり
村田充(特別出演)
三池崇史(友情出演)
評価
★★★★★
リベンジ系映画。漫画が原作とあって一つ一つのセリフがとてもいいです。
こういう映画は苦手な人が多いと思いますが、はまればとてもお気に入りの作品になることでしょう。
あらすじ(前半)
十三(じゅうぞう)は小学校のころ同級生の赤井にいつもいじめられていました。
卒業式が近づいたある日、十三は赤井たちに押さえられ、顔に硫酸をかけられます。顔はただれ、眼球は腫れあがり以後、十三の心の中には人里離れた小屋に心を閉じ込め、「13号」という凶暴な別の人格ができました。
大人になった十三は2階建ての古いアパート「平和荘」の13号室に十三は引っ越します。自分たちの真上には赤井と妻・のぞみ、息子・勇気の一家が同時期に引っ越してきました。
十三の外見は弱々しい青年ですが、13号の顔半分は硫酸で焼け爛れ、凶暴な人相をしており、力もとても強いです。
十三は赤井の勤務する建築会社に入社します。赤井は十三がかつての同級生だと全く気付きません。相変わらず赤井は職場の同僚・関を苛めていました。
十三の部屋に赤井の妻・のぞみが引っ越しの挨拶に来ました。のぞみはとても美人でした。13号は赤井がいない間に部屋に侵入し、のぞみの下着など物色し盗聴器を仕掛けます。
夕方、十三を心配して訪ねた関はふとしたことから小学校のアルバムを開きます。そこから十三は、幼少期に赤井に苛められた過去を持ち、復讐を考えていることを打ち明けました。
深夜13号が部屋で騒ぐのを注意した隣の男・金田は、凶暴な13号に包丁で惨殺されます。
翌日、関は赤井に十三のことを話そうとしますが赤井は無視し、気づいた13号が関を撲殺しました。
関は13号によって建築中の家の床下に埋められました。
隣人13号のあらすじ(後半)
ある日みかんのお裾分けに来たのぞみに、十三は映画観賞券を渡し息子を預かると言います。
翌日赤井とのぞみは映画に出かけ、十三と勇気は遊園地に行きました。赤井が高校時代に所属した暴走族『犬』の舎弟・死神が、十三を尾行します。
十三はトイレで13号に変貌し勇気を殺そうとし、制止した死神が殺されます。その後勇気は誘拐されてしまいます。
勇気が帰宅しないと心配した赤井夫婦が十三の部屋を覗き、赤井は十三が小学時代の同級生と気づきます。赤井は暴走族仲間にショットガンを譲り受け、小学校に行きました。
赤井は動く何かをショットガンで打ち抜きます。その後もみ合いになりながら十三によって赤井は取り押さえられます。
13号に勇気の居場所を問い「鞄の中」と聞いた赤井は、自分が勇気を撃ったと知ります。赤井はカバン中を覗くとそこにはぐちゃぐちゃになってしまった勇気が・・・
赤井は泣いて過去を後悔し、10年前に苛めたことを13号に謝りました。
予想外に謝罪をする赤井を13号は理解できず、狂ってしまいます。
その後場面は変わり、小学校に場面が戻ります。
そこでは赤井は花瓶で十三から反撃を受けていました。
呆然とする赤井と十三。
十三は泣きそうな混乱したまま教室を後にする。
その後無事卒業した十三は赤井と仲良しになります。
彼らの帰り道で平和荘が取り壊されています。
そこには13号の部屋も解体されており、13号がいます。
13号は十三に対して手招きしているような、さよならしているような手振りをしていた。
ネタバレ結末の解釈と解説
この映画の最大の謎は最後になぜか十三の小学校の頃まで遡り、トールとの間のわだかまりが消え、中学生になって悪ガキ三人と十三の四人で楽しく歩いている姿がラストに映し出されます。
それまで13号とトールが殺し合いをしていたのになぜ突然そんなことになったのか。一つ一つ整理しながら最終的な結論を出していきたいと思います
どの場面が現実か
まず、場面は大きく3つ出てきます。
一つは小学校のとき、もう一つは大人になったとき、そして、最後に小屋です。
さらに小学校のときは冒頭のトールにいじめ続けられ、硫酸を顔に浴びることになる場面(これを小学校①としましょう)とラストのトールに反撃をして、トールと和解し仲良くなる場面(これを小学校②としましょう)です。
つまり、場面は全部で4つ小学校①の世界、小学校②の世界、大人になった世界、小屋の世界です。
よくネットにある解説
よく言われているのは小学校①は現実、小学校②は妄想、大人になった世界は現実、小屋は妄想という話です。
つまり、いじめられた十三が復讐を遂げるのですが、予想以上にトールが反抗せず、復讐の心が折れてしまったため、小学校②までトリップもしくは、こうだったら?という妄想に飛んだという解説です。
ですが、これでは説明がつかない部分が多すぎます。ですので一つづつそれぞれが現実か、妄想の世界かを整理しましょう。
小屋は間違いなく妄想の精神世界
これは間違いなく十三の妄想の精神世界でしょう。
いじめられることで自分の内面に逃げる場所を作ったというのが十三の心の中を表しているでしょう。
この小屋での十三の行動も謎を解くカギになります。
冒頭の展開はまずこの小屋からスタートします。小学校①の場面でいじめられることとこの小屋で耐える十三は完全にシンクロしています。
そしてこの小屋から大人の世界へ気づくとスムーズに移行します。
そしてもう一つ確実なことは13号が妄想もしくは二重人格による実際は存在しない存在であることです。どの過程であっても13号の超人的な力は間違いなく人ではないですし、彼自身は「俺は十三じゃねー」と言っていることから、単純な二重人格でもないと思っています。(見た目も違いますしね。)
大人の世界は現実か?
いきなり本題ですが、本作の80%を占める十三、13号、トールの大人になった世界での出来事は現実でしょうか。
よく考えてください。
背理法でいくと、もし大人の世界が現実だったとすると小学校①の世界も現実ということになります。だって小学校②が現実では十三がトールを憎む世界はこないですから。
小学校①が現実なら、間違いなく十三は顔に大やけど、目を失明しているでしょう。
とすると小栗旬扮する十三のようなきれいな顔のいで立ちであるわけがないのです。むしろ13号のようないで立ちが一番正しいのです。
でも13号は現実の人間ではないでしょう。多重人格という見方もあるかもしれませんが、その見方ではラストの13号室で十三にバイバイするようなシグナルを送るのも納得がいきません。
つまり、もはや小学校①と大人の世界はつながっていそうでつながってはいけない矛盾をはらんでいます。
この時点で私の結論は本作の80%を占める大人の世界はすべて妄想だと思っています。
そう考えれば小屋のシーンからスムーズに大人の世界に移行したのも納得です。
あのシーンもう1回見てほしいのはまるでタイムトリップしたみたいな冒頭なんです。まるで小屋でこけて外に出たら大人になっていたような感じです。
小学校①と②はどちらが現実か
小学校①と②はパラレルです。どちらかが存在し、どちらかは妄想です。
アルバムを見ればそれは明らかで小学校①では十三は欠席もしくは死亡したため外枠での写真撮影でした。小学校②ではちゃんと写真に写っていることからどちらかが、現実です。
結論から言えば、これは小学校①が妄想で小学校②が現実とみるほうがいいでしょう。
そっちのほうが辻褄が合うのです。
つまり、結論はこうです。
小学校①でいじめられて硫酸をかけられる十三の場面は妄想、いじめられて自分の箱に入ってしまい、二重人格を生む十三も妄想、大人になってトールと再会し、復讐を果たそうとするも失敗する十三も妄想、これらの最後に現れるトールに反撃をし、普通の生活を送る十三が現実だと思います。
つまりあらすじにこれらを付け加えるとこうです。
小学校のころいじめられていた十三はいつも自分の心の箱の中(小屋)に閉じこもっていた。ある日その小屋に十三号が現れ、十三にこのままではだめだと色々な妄想を見せつける。一つ目は小学校のときのいじめがエスカレートし、卒業間近にトールから硫酸を浴びせられること、2つ目は大人になってトールに復讐しようとするも結局うまくいかず、自分に絶望すること、(ここから現実)最後に十三はそんな自分に嫌気がさして、ある日トールに反撃をする。驚いたトールは十三をいじめることはなくなり、二人は親友のように仲良くなった。いつしか心の中にいた十三もいなくなっていた。
はじめから90%くらいは妄想だった、というのは私の説です。
映画の最後に
通常、物語のはじめは現実からスタートすることがセオリーだと思いますが、本作はそのセオリーを逆手にとってはじめからほとんどが妄想という特異な作りだと思います。
良くも悪くも夢落ちという展開ですが、それでもトールの「やりすぎだろ」と叫ぶシーンは一見の価値があります。シナリオよりもその世界観に圧倒されますのでおすすめのホラーです。