映画「ノック 終末の訪問者」ポール・トレンブレイの『終末の訪問者』原作のスリラー作品です。
宗教色の強い作品ですので、ぜひこの記事の解説・考察を読んで作品を理解してみてください。
作品概要
【監督】
M・ナイト・シャマラン
『シックス・センス』(1999)や『オールド』(2021)
【原作】
ポール・トレンブレイ
【脚本】
M・ナイト・シャマラン、スティーブ・デスモンド、マイケル・シャーマン
【キャスト】
デイブ・バウティスタ、ジョナサン・グロフ、ベン・オルドリッジ、ニキ・アムカ=バード、クリステン・ツイ、アビー・クイン、ルパート・グリント
あらすじ
幸せなゲイのカップル、エリックとアンドリューは、養子のウェンと共に森の中のロッジで休暇を過ごしていました。ウェンが外でバッタを採集していると、レナードと名乗る大柄な黒人男性が現れ、話しかけてきました。レナードのほかに武器を持った3人の男女が加わり、レナードはウェンの家族に重大な決断を迫ると言います。
ウェンはロッジに戻り、両親に警告しますが、4人は強引に侵入し、エリックとアンドリューは縛られてしまいます。侵入者たちは自己紹介をし、レナードは教師、サブリナは看護師、レドモンドは技術者、エイドリアンはレストラン勤務と名乗ります。彼らは、世界の終末を防ぐために、エリックたち家族の誰かが自ら犠牲になる必要があると主張します。
アンドリューとエリックは彼らの話を信じることはありませんでした。そして、突然レドモンドが自ら白いマスクを被り犠牲になります。その後、テレビで大災害のニュースが流れるのでした。エリックはレナードたちの話が真実かもしれないと思い始めます。
一方、ウェンはすきを見て逃げ出そうとしますが失敗し、アンドリューは過去に自分を襲った犯人がレドモンドかもしれないと疑います。夜が明け、エイドリアンが次に犠牲になります。レナードは彼女の死体を運び出し、さらに多くの災害が起こっていることがニュースで報じられます。
アンドリューは脱出を試み、隠されていた銃を取りに行きますが、サブリナに阻止されます。彼は彼女を撃ち、ロッジに戻るとエリックがレナードと格闘していました。アンドリューはサブリナを撃ち殺し、彼女の死体を外に運びます。アンドリューはレドモンドの死体から身分証を取り出し、彼が過去に自分を襲った犯人であることを確認します。テレビには世界中で航空機が墜落しているニュースが流れています。レナードはアナウンサーが話すよりも先にアナウンサーのセリフを話して見せました。
レナードは自らの番だと悟り椅子に座り、持っていたナイフで自害しました。
エリックはレナードたちの主張について考え、自分が犠牲になることを決意します。アンドリューも自らを犠牲にしようとしますが、エリックが彼を説得し、自ら命を絶ちます。ウェンとアンドリューはロッジが燃える中、レナードたちの車を見つけ、キーが残されていることに気づきます。
彼らはレストランで災害が終わったことを知り、車に戻るとレナードたちの個人的な物品を発見します。アンドリューは「ブギー・シューズ」を再び流し、彼らは新たな始まりに向けて出発しました。
「ノック 終末の訪問者」の解説・考察
本作を理解するうえで重大なキーとなるのが、作中のエリックのセリフです。
エリック「レナードたちはヨハネの黙示録の四騎士だ、ナードは導く者、レドモンドは恨む者、エイドリアンは養う者、サブリナは癒す者だ」
エリックの悟ったこの内容こそ本作の根幹となるためヨハネの黙示録を中心に内容を解説していきます。
ヨハネの黙示録の四騎士
ヨハネの黙示録は、新約聖書の最後の書であり、「黙示」とは「啓示」を意味します。この書は、キリスト教の終末論的な信念の中心的な部分で、しばしば世界の終わりのビジョンとして解釈されます。黙示録の中で最も象徴的な部分の一つが、四騎士を通じて描かれる終末の予言です。
四騎士はそれぞれが異なる災害を象徴しており、次のように解釈されています:
白馬の騎士 – しばしば征服を象徴し、弓を持ち、戦いに勝利するために出て行くとされています。
赤馬の騎士 – 戦争と血を流す暴力を象徴し、彼は平和を地上から奪い、人々が互いに殺し合うようにするとされます。
黒馬の騎士 – 飢餓を象徴し、手には天秤を持っており、食糧の不足と経済的な不平等を示しています。
青白(淡黄色)馬の騎士 – 死と地獄を象徴し、死と疫病をもたらすとされています。
これらの四騎士は、世界の終末が近づいているという神の警告として、黙示録の中で描かれています。彼らの出現は、最終的な審判と新しい創造の始まりを前兆しています。この象徴的な物語は、多くの芸術作品、文学、文化的な表現に影響を与え、現代の多くの解釈や想像につながっています。
レナードたちと四騎士の関係
上の写真を見てください。実は4人の来ている服はそれぞれ4騎士が乗っていた馬の色に一致します(4番目の青白(淡黄色)馬は黄色と青白の所説あるようです)
しかし、レナードたちが持つ役割は4騎士とは完全に真逆の役割になっています。
白馬の騎士=レナード…征服を象徴する白馬の騎士に対して白い服を着ているレナードは、教師という子供たちを「導く」立場で征服という行為と真逆の職業を持っています。
赤馬の騎士=レドモンド…暴力や争いを象徴する赤馬の騎士は、過去にアンドリューに暴力をふるったことのあるレドモンドそのものですが、彼は逮捕されたのち、名前を改め生き方を変えています。彼は赤い服を着て暴力と決別した人間なのです。
黒馬の騎士=エイドリアン…飢餓を象徴する黒馬の騎士に対してエイドリアンは「人に食事をふるまうのが好き」という「養い」の存在です。彼女は黒い服を着て、実際ウェンにもご飯を作ってあげていました。
青白(淡黄色)馬の騎士…死の象徴である青白(淡黄色)馬の騎士は看護師として多くの人命を救っているであろうサブリナと真逆の存在です。彼女も黄色の服を着ていました。なお、黄色という色は「死を意味する色」と言われています。
ヨハネの黙示録と犠牲の関係
さて、本作では常に「自らを犠牲にすること」が求められます。
犠牲のテーマはヨハネの黙示録全体にわたって存在し、特にイエス・キリストの犠牲とその救済的な意味合いに焦点を当てています。黙示録では、イエスは「神の小羊」として描かれ、世界の罪を贖うために自らの命を犠牲にしました。キリストの犠牲は神の最終的な勝利と悪に対する審判を可能にするものとして描かれています。
レナードが求める「君たち家族の中の一人が死なないといけない」というのはイエス・キリストと同じ犠牲=愛を提供する必要があると求めているのでしょう。
なお、キリストの愛は、彼が人々の罪のために自己犠牲をし、十字架上での死を通じて人々に救いを提供することによって表されます。黙示録では、この犠牲が最終的な勝利につながると描かれています。
解説・考察のまとめ
これまでの考察をまとめると、
- レナードたちは4騎士と同じ役割をある日受け継ぐ、受け継いでいることに気づく。
- それぞれの4騎士になぞらえたレナードたちは最後の審判の日に生き残っていると次々と厄災が起きるため、人類の滅亡をとめるために自分たちの死が必要となる。
- 世界の滅亡を止めるには同時にイエスキリストの犠牲と同じ犠牲が必要。レナードたちは自身の導きにより、その役割を果たすのがエリックたちの誰かだと気づく
- エリックはレナードたちが死ぬたびに人影のようなもの(神様)を見るようになり、自身がイエスキリストのように犠牲になる必要があることに気づく
- レナードたちとエリックが死ぬことにより、人間は最後の審判の日を免れる。「ブギー・シューズ」の音楽はこれからも、これまでと同じ日常が続くことを象徴している