ペンタゴン・ペーパーの評価
★★★★★
実話というのがとても興味深く、話に深みを与えてくれます。
「アメリカが負けてはいけない」「敗戦の大統領になってはいけない」というケネディもアイゼンハワーもニクソンも全員が隠して隠して隠しきってきた秘密を暴くドキドキの展開です。
誰でもいつでも決断を迫られています。
決断することはとてもストレスで、とても体力のいることで、ポストのキャサリングラハムの決断力はサラリーマンにズバっと心をえぐります。
スピルバーグが原作を読んで「今すぐ作らなければ」といった理由がよくわかります。
ペンタゴン・ペーパーのあらすじ
1971年ニクソン大統領は激化するベトナム戦争について、戦況を国民に知らせていませんでした。
ある日ニューヨーク・タイムズがベトナム戦争を分析した国防総省の最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手しスクープします。
一方で、ニクソン政権は戦争に関する極秘事項を漏洩・公開することはスパイ行為として認めないとし、タイムズ紙に対して掲載中止の検閲行為を行います。
ワシントン・ポスト紙の社長キャサリン・グラハムと編集長のベン・ブラッドリーはペンタゴン・ペーパーズの重要性を理解し、なんとかして全文を手に入れようと奔走します。
ツテを辿り、ついに全文を手に入れたベンは早速記事にしようとしますが、裁判所命令はタイムズだけでなく、タイムズの情報ソースであるすべての機密を禁止されていました。
もし、これを記事とすれば自らが投獄されるだけでなく、会社の株式公開が中止になり経営危機に瀕することも危惧されました。
結末ラスト
周りの役員や顧問弁護士は反対する中、キャサリンは記事公開を決断します。
翌日出したポストの記事は瞬く間に話題になり、司法長官からも電話がある始末でした。
しかし、公開後の新聞各誌はこぞってワシントンポストを支持し、各誌ペンタゴンペーパーに関する記事を公開しました。
運命の最高裁判所では戦時下の機密保持の権利と報道の自由で争われることとなり、タイムズ、ポスト他多くのマスコミが法廷で戦いました。
結果的にマスコミ側の勝利で終わります。
怒り心頭のニクソンでしたが、その後ウォーターゲート事件で失脚していくのでした。
ペンタゴンペーパーのネタバレ感想
お恥ずかしながら、ペンタゴンペーパーというものをこの映画を見るまで知りませんでした。
今でこそマスコミが自由に報道することが当たり前ですが、それもこういう事件が積み重ねられて今の報道の自由があるのだな~としんみりとしました。
マスコミの在り方
報道の自由を考える上で本作は大事な内容を示唆しているように思いました。
あくまでも報道は権力とは距離を置かないといけなく、権力と戦う立場にないといけないはずがどうしてもマスコミの権力への対抗力というのが落ちているように感じます。それはインターネットやSNSの発達、若者の新聞離れなどマスコミ自体のビジネスモデルが崩壊していることも去ることながら、私たち自身国民も政治権力に対して無関心になっていることが問題なのです。
腐った政治家がアホな政策を可決したとしても、私たちはいつまでも政治に無関心で彼らをクビにせず助長させている。
マスコミはマスコミで必死に読まれようと記事の内容よりもいかにファンキーなタイトルをつけるか、興味をひくような内容になるかのスタンドプレイを狙うような記事ばかりを量産するようになりました。
また、インターネットの発達によってSNSなどを通じて個人が情報発信をできるようになり、マスコミの意見は個人の意見の中に紛れることすらあります。
トランプ大統領を見れば自身でツイッターを用いて発信することができるのでマスコミというのは必要でなくなっているのです。
名言
「報道の自由は報道によって守らなければならない」
映画の中でベンが言っていたセリフですが、まさにその通りです。常に報道することで報道は守らなければなりません。
とても心に残っている言葉です。
ベンの危うさ
おおむね、報道の自由を勝ち取るサクセスストーリーとして面白い本作ですが、私自身は納得できないことがあります。
それはベンの危うさです。
全国紙の編集長であるベンはニューヨークタイムズが3か月かけて内容を検証したペンタゴン・ペーパーズをわずか1日足らずで記事にしてしまいました。
彼は終始「この内容は絶対に正しい」と信じていました。
しかし、この内容が間違いであることも十分あり得たのです。
記憶に新しいのはiPS細胞での読売新聞の大誤報でしょう。
当時山中教授が受賞した際に、森口氏が読売新聞で「自らの研究」と訴えたことだ。もちろんこれはねつ造で、後日読売新聞がお詫び訂正をしている。
ベンの狙いは何か
さて、ベンについても何百とあるページを事実の検証もせずに掲載したように見えます。ベンの中では真実の報道という正義よりも「タイムズに負けたくない」という想いがあったように私には見えました。
今回はたまたま正しかったからよかったものの、果たして間違っていたら「すいません」では済まなかったことでしょう。
あくまでも報道の自由の戦いとマスコミの報道体制というのは分けて考えるべきでしょう。今回の事件は間違いなく前者は合格、後者は不合格だったと言わざるを得ません。
最後に
最後につまらないケチをつけてしまいましたが、それでもやはり感動する作品だと思います。
戦時下でも守られるべき最低限の人権や生活があり、それを少しづつ勝ち取ってきた先人たちの戦いが胸を熱くします。