紙の月のネタバレ徹底解説!【梨花はサイコパス?】

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邦画の映画賞を29冠している骨太映画です。

さて、横領という犯罪をどのようにサスペンスしているのか。

豪華出演陣が魅せる個性キャラのそれぞれの真実に迫ります。

紙の月のキャストと評価

出演: 宮沢りえ, 池松壮亮, 大島優子, 田辺誠一
監督: 吉田大八

評価点 80/100点

日本アカデミー賞をとっていますがすごいですね、総なめという感じで受賞しています。

第38回日本アカデミー賞-

最優秀主演女優賞(宮沢りえ)

優秀作品賞(紙の月)

優秀監督賞(吉田大八)

優秀脚本賞(早船歌江子)

優秀助演女優賞(大島優子小林聡美)

新人俳優賞(池松壮亮)

優秀撮影賞(シグママコト)

優秀照明賞(西尾慶太)

優秀録音賞(加来昭彦〈録音〉、矢野正人〈整音〉)

優秀編集賞(佐藤崇)

紙の月のあらすじ

バブルがはじけて間もない1994年、銀行の契約社員として働く平凡な主婦・梅澤梨花(宮沢りえ)は綿密な仕事への取り組みや周囲への気配りが好意的に評価され、上司や顧客から信頼されるようになる。

一方、自分に関心のない夫との関係にむなしさを抱く中、年下の大学生・光太と出会い不倫関係に陥っていく。

彼と逢瀬を重ねていくうちに金銭感覚がまひしてしまった梨花は、顧客の預金を使い始めてしまい……。(シネマトゥデイより)

紙の月のラストは?梨花の正体はサイコパス?

本作では多くのレビューや解釈が出ているが、私なりの理解を書いていこうと思います。

あらすじはもう上記ですべてを物語っていますので詳細は記載は避けようと思います。なぜならどんなにあらすじだけを述べても「男に貢いで横領をした女が最後は海外に逃亡した話」の一言で終わってしまうからです。

本作、というより主人公の梨花はそんなに単純ではないと思います。

まず私の考えでは彼女はいわゆるサイコパスです。

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サイコパスとは反社会的人格といい、社会一般の風習や常識に従えない人たちを総称して言います。

梨花の根本の思想には「受けるより与えることが幸いである」というキリスト教カソリクの教えがあります。彼女が若いころ、発展途上国の子供たちに寄付をしてその子たちから手紙をもらうという活動がありました。彼女はそれを至上の喜びと感じ、ほかのクラスメートが寄付をやめていく中で、一人寄付を続けます。次第に彼女はもっと与えたいと思うようになり、親の財布から5万円もの大金を盗んで寄付するようになりました。

このエピソードこそ、今回の彼女の5000万円を超える横領事件を象徴しています。

梨花は決して男に騙されて貢いだわけではありません。よくあるような愛人ができてそれにせがまれて何かを買っているわけではありません。むしろ恋人の光太は苦学生で借金をしてでも大学に行こうとしており、一度は梨花からのお金も断っています。

梨花は光太が喜ぶ顔がうれしくて貢いでいくのです。一方で、梨花の旦那を見てみましょう。彼は梨花からもらったSEIKOの時計を「安物である」という理由であまり喜びませんでした。むしろ彼は出張のお土産としてカルティエの高級時計をプレゼントします。しかし梨花もこれを喜びませんでした。はじめは自分のプレゼントを気に入らなかった旦那に腹を立てているのかと思いましたが、違いました。彼女はあくまでも与え続けないと幸せを感じられないのです。自分は受けるよりも与える側に回りたいのです。

そういう意味で彼女の横領は単に物欲のためでもないことがよくわかります。(カルティエの時計も喜ばない人ですから)

もう一つ補足すると彼女は与えることだけが幸せなので、そのほかのことはどうでもいいのです。たとえそれが親から盗んだお金であっても、銀行で横領したお金であってもそんなことはどうでもいいのです。彼女にとっての絶対正義は「誰かに与えること」なのですから。つまり①「与えること」という絶対正義を持っていること②その正義を貫くためであれば他の社会的な道徳やルールはどうでもいい、ということ、総じてこれをサイコパスだと私は認定します。

特に②の点は過去ではシスターが、現在では最後に会社の隅がその点を指摘しても全く彼女に響きませんでした。この世の中は、というか社会は様々な矛盾で出来上がっています。善悪の単純な二元論で物事を判断できるほどあまくないのですが、中には梨花のようにあっさりと善悪を決めて判断してしまう人がいるのです(与えることは善であり、そのために盗むことは悪ではない。受けることこそ悪、ぐらいに思っているかもしれませんね)

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さて、最後に本作の題名である「紙の月」は一義的に考えると「紙」は紙幣を、「月」ははじめて不倫した日に見つけた月を指しています。

もう少しそれぞれを深堀して考えてみますと、紙についてはお金を指すものもありますが、もう一つは「偽り」や「見かけだけの」というところがあると思います。折り紙に代表されるように紙で作るものというのは基本的に形だけ似せた偽物であり、とてももろいものです。彼女にとって、今の社会は見掛け倒しのものばかりです。与えることが正義の彼女にとって、この複雑な社会は紙でできたまがい物でしかありません。ある日光太と恋仲になった時に彼女はその偽りの社会から脱することを決めたのです。

もう一つ月についても考えると、月は梨花にとって「はじめて不倫をして朝帰りをした日に朝の月を見つけた。その月を手でなぞると月が消えた」という振り返りからも彼女の人生を変えた転換点を象徴するものになります。

月を消すというのが本当に起きたものかどうかわかりませんが、これは一つ大きな力を得た快感を表していると思います。仕事で大口の案件を決めて、自分で好きなものを買えるようになった。自分がいいな、と思った光太と寝るような仲になったことを彼女は自身が自由になる力を得たと感じたと思います。大げさに言えば月を消すなんて神様にしかできないと思うと彼女は神に似た力を得たような気持になったのかもしれません。

自分は他人にいくらでも与えることができる、それに酔うきっかけになったのがまさに朝帰りに見た月を消す光景なのです。

そしてラストシーン、東南アジアのどこかの国で梨花は昔寄付をした相手の男の子らしき青年に出会います。彼は子供もいて、果物を売っています。梨花はその彼に果物を恵まれます。彼女は与えられた果物を食べながら複雑な顔をします。

これを①自分がやってきたことが間違ってなかった。与えた相手が立派に成長して子供まで作っていて満足だ、という見方と②自分が逃亡者になり、施しを受ける側になってしまったことがなんとも悲しいという両方の気持ちがあり、複雑な表情があるのだと思います。

最後に余談ですが、本作ではわき役として相川と隅という二人の女性が出てきます。

相川は若い女の子で仕事はほどほどに自分の楽しいことをとにかくやります。不倫はするし、好きなものは買うし、飽きてきたら地元の公務員と結婚して寿退社です。同じ自由に行動する梨花と比較してもその行動はうまく社会の枠の中で立ち回ります。

梨花にとってこの「社会の枠」というのが偽りなのです。その枠の中で行動する限り自由であるとは言えないのです。目に見えない社会の掟やルールなどは梨花にとってはそれほど重要ではありませんでした。一方で相川はさすがに社会のルールにはある程度従いますが、不倫はするし、社内のルールもだいぶ破ります(それが結果的に梨花の横領第一号を生みました)

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隅ついてはさらに社会に縛られています。仕事があるから夜更かしはしない。仕事だから融通も利かせません。社会のルールに従順なだけでなく、銀行の社内ルールにもとにかく従順です。彼女は何一つ自由でない極端な例です。だから左遷されても会社をやめることもできません。どこまでも何かに縛られないと生きていけないのです。最後のシーン、隅と梨花の会議室ではこの二人の対称性が際立ちます。隅も梨花ほどの何かの新年をもって行動したり、自由に生きることに憧れたのだと思います。その証拠に隅は梨花を羨ましがっている面が多々ありました。

紙の月の最後に

うまくできた作品であったと思います。

東京国際映画祭で受賞しただけあっていい作品だと思います。

特に彼女らに演技は大したものです。サイコパスを演じるのは楽ではないと思います。

そんな彼女たちの演技も楽しみにぜひご覧ください。